
なるほど!! ハイヤーよりタクシーは面白いのか!
以前僕のいた運転手控室での若い運転手さん達の雑談の中の話。
21歳8ヶ月の時から黒塗り一筋の僕にはこれは意外だった。
最近でこそ20才代の運転手さんも増えたが、
約20年前(昭和61年頃)はまだ20才代の黒塗りの運転手が珍しい存在だった頃の昔話。
僕が21歳になった翌年の冬。 明けても暮れても車、車、車の趣味は飽きたらず、
ワックスで磨いては少ないお小遣いをガソリンに変え、
夜な夜な所かまわず走っている事が楽しかった当時。
駐車場までの道程の途中ある日本交通ハイヤーの営業所で、
磨き上げられ黒光りする高級車に心が引きつけられていた。
雨の日も水滴は細かく一瞬もボディーに留まることなく流れ落ちてしまう。
職人芸の様なその輝きは、素人の僕に「どうしたらここまで磨けるのだろう?」
と不思議を覚えさせた。
ちょうどその頃長女が生まれ、21歳の僕の収入では生活にも困り始める。
もう少し条件の良いところへと転職を考え、
「自分って何が出来るのかなぁ?」漠然と就職情報誌を眺めていた。
「そうだ!せっかく転職するのなら一度あれに乗ってみよう」
そんな単純な理由でその日本交通ハイヤーに飛び込みで履歴書をもって行った。
僕の対応をしてくれたカウンターに座っていた人はドライバーさんなのか、
内勤さんなのかわからないが、
彼曰わく
「21歳?そんな若いドライバーいないよ。そんなん取るかなぁ?」
「タクシーのほうがいいんじゃない?」の一言でこの会社への就職をあきらめた。
様々な転職先を考えたが「う〜ん!やはり、黒塗りに乗ってみたい!」
若かりし僕の夢は広がり。「どうせ乗るなら思い切ってメルセデスだ!」
食い入るように眺める就職情報誌の左のページには
“憧れのメルセデス”の写真を載せた『日の丸ハイヤー』。
そのとなりのページの写真は“セドリックブロアム”の『国際ハイヤー』。
今思えば直感に近いものだったのかもしれない。
普段なら美味しい物は先に食べたい僕だが、その時だけは『“憧れのメルセデス”』を後回しに
国際ハイヤーへ先に電話をかけた。
「はい国際ハイヤーでございます」奇麗な女性の声ちょっと良い感じ
続けて少しのやり取りがあり
「2種はお持ちですか?」
「いえ、1種です。」
「お歳は幾つですか?」
「21です」
「お若いですねぇ…少々お待ち下さい」
やっぱ駄目かなぁ。ま、いいか本命は“憧れのメルセデス”
その時かなり待たされたが電話の返事は
「面接に来てください」との返事。
「う〜んこの会社メルセデス持ってるかなぁ?」少し複雑な気分。
でも取り敢えず高いフェンスは消えたかんじ。

これが良くも悪くも僕の青春と共に歩んだ国際ハイヤーでの黒塗り人生の始まりで、
今思い返せば、何も知らないながらも『km』のブランドには惹かれていたのだろうと思う。
その後国際ハイヤー一筋で来た退職までの約20年で、結果としてどちらが良かったのかは
『日本交通』や『日の丸自動車』を経験していない僕に判断できないが、
経験として確実にいえるのは『諸先輩方から受け継ぐ基本理念を基に、
一流のドライバー&スタッフが自信を持ち、
また全身全霊を傾けてお客様のご要望に応えるべく努力していた』事はかけがえのない事実である。

『信号待ち』
30秒間の休息でボーっとフロントウィンドー越しに宵闇の空を見上げると
薄白い雲の隙間にお月様があくびをしていた。
「あ〜今夜も“歌うヘッドライト”も終わる時間になってしまった」
明け方に一人で都心に向けた回送車両。
首を右にかしげれば先ほどからアウトサイドミラーに映るのは、
濃紺の空に淡い橙色の水平線が交わる優しい光の線。
ラジオの女性の声が告げるコールサインと共に夜が明けた羽横AM4:48。
聞くとも聞かないとも流れるそれから爽やかな朝の挨拶。
軽い緊張を伴って握るステアリング。
疲れ果てた僕にあたえられた居心地の良いひとりぼっちの空間と時間。
戦士の休息ってこんな感じなんだろうな。
『あの緊張感って何だったのだろう』
初めてのお客様は某製薬会社の研究所から新薬発表会のホテルまでの御送りだった。
教わった通りに挨拶をする。
「こんにちは国際ハイヤーの渡邉です…」
しかしお客様はファミレスのオーダーの確認のような物で聞いちゃいない。
今考えたら当たり前で、複数のお客様が目的地を知ってる運転手の車に乗ったのだから(笑)
同乗教習してくれた先輩が教えてくれた「黒塗りは我慢の連続だから笑顔を忘れずに。
となりや後ろで吠える車にはじっと我慢して営業所まで帰って来い」と。
「帰庫したらいくらでも同僚達にそのうっぷんを吐き出せ」とも。
最近じゃそんなこと教える指導乗務員もいないから、
あおられて本気で怒り事故をもらってくるドライバーさんもいるようだけど。

自分としては念願だったメルセデス&ジャガーを筆頭に、
国内で高級・高額車と呼ばれるカテゴリーの車を乗り尽くすまでに至った。
また、この二十年間で東京のみならず、関東を中心に国内の隅々をも走り回った。
国際での20年間の感想としては前述の繰り返しになるが、
この仕事は車両のグレードや価格にあらず。
『安全に目的地にお届けするのは当たり前。
その上にお客様のへの接客姿勢&ご要望に全身全霊で自信をもってお応えする』。
これが基本であったように思う。
国際でも古参になり、その居心地の良さに守りに入って失敗もしたことも多々有るが。
今は志を新たに同業種である個人タクシーへの転職を機に、
あの頃の初心と希望と夢が確かな経験を伴い蘇った。
そして国際ハイヤー田町営業所に配属になって初めて乗務した営業車『品川33あ3115』。
そう!僕の初心の全てはこの緑ナンバー3115に込められている。
2005.03.15
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